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報告

12月21日午前2時7分。
親愛なる母 櫻澤園子が息を引きとりました。

去年から身体の異常を訴え、
今年の春に癌と宣告され、
夏を越せないと医師に言われましたが、
9ヶ月を癌と闘い続けました。

私は大の母好きです。

毎年ある私自身の誕生日には、
今年も無事誕生日が迎えられた事を母に報告し、
私をこの世に生んでくれた感謝の念を伝え続けました。

私は母の大きな愛情に守ってもらい、
母はその大きな愛情で私自身を支えてくれました。

L'Arc-en-Ciel在籍時には、
都内近郊のライブには必ず観に来てくれてました。
当時出演したテレビ番組、ラジオ番組、
掲載された雑誌の全てをチェックしていました。
私が黒い服しか着ない影響で、
母の着る服に黒が増えました。

気丈な人でした。
痛くても、辛くても弱音を吐かず、
どんなに辛い現実もすべて受け止め、
人前では決して涙を見せない人でした。
意識のある最後まで、周囲の人達に気を使っていました。

97年 逮捕された私は、
母とガラス越しで面会をしました。
母は私の顔を見つめ続け、
黙ったまま大粒の涙を流し続けました。

自暴自棄になっていた当時の私を傍で支え続けてくれました。

否定をせず、あらゆる人達を肯定する人でした。
分け隔たりなく、あらゆる人達を受け入れる人でした。

99年 ZIGZOの結成を凄く喜んでくれました。
ZIGZOのメンバー一人一人を家族の様に受け入れてました。
S.O.A.P.の結成も凄く喜んでくれました。

母との思い出、母への想いは、あげたらキリがありません。

死別はとても辛い事ですが、
残された時間を母の為にある程度を費やすことができました。
たまたまですが、去年の暮れの武道館のイベントでは、
Lion HeadsとS.O.A.P.のライブ、
HYDEと共演したI'm so happyを観せる事ができました。
今年の6月にはTETSU、RYO、DENの協力で、
ZIGZOを母に再び観せる事ができました。
今年の夏には結果的に母に捧げる事になった曲をレコーディングして、
母に聞かせる事ができました。

母は暮れの武道館でのイベントを毎年楽しみにしていました。
小箱に入った、その姿は変わってしまっても、
一緒にステージに上がる事によって、
母に今年の武道館のイベントを観せることができました。

with mother.jpg

同情してもらいたいわけではないのですが、
私の母に対する想いを書き留めたく思い、
事実として報告させていただきました。

母へ
ありがとう

櫻澤泰徳